ミネラルウォーターの信用性
特筆すべきことは、これらの初期の試作まだレンズ設計にコンピュータが導入されておらず、設計途上での計算はすべてふたり一組の女子計算員による電動計算機を使用しての手計算が中心で、計算箇所も単レンズとは比べものにならぬほど多く、誤算も多かった。
設計者は誤算の発見に苦労した。
このような状況のもとで画期的なズームレンズ群が開発されたことは、その設計過程での考え方や方法自体がきわめて独創的だったからであり、こうした数々のズームレンズの開発を通して、Y路敬三は六O年頃、ズームの最適な設計手法として「固有係数と特性行列」による理論を体系化した。
これは今日でもズームレンズの設計に関する理論上の拠り所として重要性を失っていない〉(「C史』より)Y路はズームレンズの設計者としても一流だった。
やがてCのズームレンズは海外では別名「ヤマジズーム」と呼ばれるようになる。
そんなY路が初代の製品研究課長に抜擢されたのだ。
Y路が製品研究課長に抜擢されるまでのいきさつについては前章で述べた通りだが、課の新設にあたっては、人事部の協力で、これはという優秀な人材を他のセクションから出してもらったりもしたが、まだ足りない。
いかんせんカメラメーカーのCには、何をやるにしても新しい分野の技術的人材が十分ではなかったのだ。
製品研究課長としてのY路の最初の仕事は人材を集めることだった。
倉庫の「屋根裏部屋」ではじまった電子写真開発なんとしても外部からの新しい血の導入が必多角化を強力に推し進めていくためには、必要だった。
後に、複写機事業のベースとなるC独自の電子写真技術、NPシステムを開発した現副社長の田中宏も、このときに多角化要員として外部からスカウトされ、中途入社したひとりである。
点)カメラもやりましたし、電子式レンズシャッターもやりました。
当時は機械式シャッターから電子シャッターに変わりかけの噴でした。
それからマイクロ写真のデュプリケ−ション(複写)用のフィルムもやりました。
はじめはいろんなことをやりましたが、そのなかでいちばん大きく伸びたのが電子写真だったわけです」(Y路)発足当時の製品研究課の実験室は下丸子の古くて組末な倉庫の最上階に置かれていた。
そこは課員たちの間で通称「屋根裏部屋」と呼ばれていたが、その陣容もY路課長以下、事務の女性ひとりを含みわずか七人という小さな所帯だった。
田中宏が中心になって、ここからC独自のNPシステムが生み出されるのはもう少し後になってのことである。
ところで、製品研究課が新設され、田中が入社した六二年(昭和三七年)といえば、日本の事務機業界が大きな衝撃を受けた年でもあった。
それはこの年の二月、つまりはY路が技術部長の鈴川取締役(同年八月に常務昇格)に随行してはじめて渡米した頃だが、富士写真フィルムと英国のランク・ゼロックス社一との折半出資による合弁会社、Fが誕生していることだ。
当時の複写機事情を簡単に説明しておくと、複写機の方式には、などがあった。
このなかでコピー!の質がもっとも優れていたのは電子写真方式だったが、その電子写真方式にはゼロックス方式とEF方式(エレクトロファックス)のふたつの方式があった。
ゼロックス方式は、一九三八年にスウェーデン系アメリカ人、チェスタ− ・F・カールソンが発明したゼログラフィ−の技術を基本原理としており、帯電させたセレン感光板に光を当てて写した潜像に現像剤を振りかけて可視化し、普通紙などに転写、定着する間接式で、その装置はPPC(虫色ロ句者耳打012H普通紙複写機)と呼ばれていた。
この方式は、ゼロックス社が多数の特許を押さえていたために、どこも手を出せないでいた。
特許の壁に守られたゼロックス社はそれをいいことに高額の製品を出し、独占利益を享受していたのである。
これに対してEF方式は、酸化亜鉛感光紙に直接複写する方式で、アメリカのRCA社が特許をもっていたが、特許供与に応じていたので、世界のいくつかのメーカーが製品化をはじめていた。
以上が当時の大ざっぱな複写機業界事情である。
世界中で進行しはじめていた「コピー−革命」ここで、F設立の経緯をまとめておくと、カールソンの発明に着目したのがゼロックス・コーポレ−ションの前身であるアメリカの写真印画紙メーカーのハロイド杜で、同社は一九五O年(昭和二五年)にゼログラフィ−技術を応用した最初の製品モデルこの複写機は複写工程がまだ自動ではなく、一枚のコピーをとるのに何段階もの操作が必要という複雑な機械だったので、一般市場ではそれほど普及しなかった。
オフセット用のペーパー-マスター・プレートをつくるのには画期的な機械だった。
モデルAの発売以後もハロイド社は次々に新製品を発表していった。
その結果、ハロイド杜は四九年(昭和二四年)から五六年(昭和三一年)にかけて売上高を約三倍に増やす。
ゼロックス複写機の地位を不動のものにしたのは、六0年代に発売された世界ではじめての普通紙複写機「ゼロックス914」の大ヒットだった。
この複写機によってゼロックス社(六一年に社名変更)は世界中で「コピー−革命」を引き起こしたといっていい。
その問、五六年には、映画やレジャー事業で知られるイギリスの持ち株会社ランク・オーガニゼ−ションと合弁で「ランク・ゼロックス社」を設立、市場をヨーロッパにも拡大していった。
このランク・ゼロックスと富士写真フィルムどの合弁で設立されたのがFなのである。
一方、日本のフィルム業界の雄である富士写真フィルムが電子写真に関心をもちはじめたのは五O年、ちょうどハロイド社がモデルAを発表した頃だった。
当時の富士フィルムも事業の多角化を模索していたのである。
最初のうちはゼログラフィ!とEF方式の電子写真技術に関心をもち、企業化のための研究を行なっていたが、好余曲折を経てゼログラフィ−一本に絞り込み、縁あってゼロックス社と手を結ぶことになったのである。
ゼロックス杜の日本進出は、複写機事業の将来性を十分に予感きせるものであった。
Cでも田中が入社する前後のことだが、販売部門がアメリカのドキュマット社の銀塩式全自動複写機「ドキュスタット」を試験的に輸入し、市場動向を探る目的で店頭サービスを行なっている。
販売部門はそうした市場の反応から、一日も早い自社開発の複写機の出現を待ち望んでいた。
田中の入社がきっかけとなって、Cもようやく電子写真技術による複写機の研究開発をはじめることになったのだ。
ここで、一九六二年(昭和三七年)九月、製品開発を担当する技術部内に誕生した製品研究課が、その後どのような変遷をたどり、また田中宏がいかにしてNPシステムに到達するのか。
いささか煩雑になるかもしれないが、組織改正ともからめながら振り返っておこう。
Cのように技術重視、製品開発型の企業にとって、研究組織や開発組織、あるいは開発した技術を事業化するためのプロジェクトチ−ムなどはきわめて重要な存在だ。
それらがうまく機能するかどうかが、企業を成長させるかどうかのカギを握る。
それらの組織の特徴は、たえず流動的だということである。
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